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Editorial

                               By K.シルヒトマン (5 May, 2005)

 日本人は自己の憲法とその第九条を誇るべきである。憲法第九条は他国が模範とすべき条項として、平和運動と研究者によってますます深く考察され、第九条は『攻撃によらない防衛』の概念および軍備に頼らない平和維持を含む。この件に関して、日本の自衛隊は一つの見本と言える。憲法第九条は国連体制の中で集団の安全のための一つのシステムとなることを指し示すことが、1946年1月24日に行われた3時間におよぶ会談の中で幣原喜十朗総理大臣によってダグラス・マッカーサー将軍に対して示された。またそのことが第二次大戦後には必要だと熟慮され、その実現はまだなお一層可能なことと熟考された。日米安全保障条約の草案が手がけられていた時期に、国連が効果的に機能し始めれば同盟は無用となる旨を記述した当該保障条約第十条の腹案を持っていた人物は、あらゆる可能性を考慮すると、幣原であったと考えられる。

 日本国憲法のほぼ全ての条文は、植木枝盛(1857-1892)が記した近代日本創生期の憲法草案が大きな元になっている。そしてこの草案は、植木学派の大御所である鈴木安蔵が率いる憲法研究会によって推し進められた提言の基本的源泉となった。日本ではあまり知られてないことだが、植木は自由民権運動に関わる明治の知識人の一人であり、『民主主義運動のトム・ペイン』であった。(アンドリュー・ロート)またこの運動の陰の『理論家かつ戦術家』であった。

 植木はインドのベンガル地方在住の多くの政治活動家らと、例えばベンガル復興運動がアジア・ヨーロッパ間の多くの変化に関与していた時代に生きたビピンパンドラ・パルのような人物と比較される。植木が自己の思想を注いだ彼の憲法草案は、その全文が英訳された唯一の日本の憲法草案であり、アメリカ人が日本のために憲法草案を書いた際には、連合国GHQに幅広く採用された。

 この独創的な日本の自由主義的憲法が1946年に開花したことの意義は、プロイセンの息がかかった権威主義的な旧憲法がもたらした長い大仕事の後に於いては、いくら強調してもしすぎることはない。憲法第九条は日本人の『正義と秩序に拠り立つ国際平和』への願望の明白な表現であるとともに、『平和を愛する諸国民の公正と信義』への日本人の強い信頼である。

 

(最初の『』と後の『』部分は日本国憲法の序文では次の下線部のとおり。日本国憲法の序文:日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。)

 

世界の『平和愛好者』は、- 国連憲章序文にある - 『正義と尊重...が維持される状況を強固にすること』という文言に、ゆくゆく 跡を継がせて、概ねさらには完全な武装解除を生み出し、『軍事力が使用されることない...を確保し、共通の利益に資する』

 日本の人々はこのような方法で、自国民の将来に今投資をしたのだ。冷戦終結後、連加盟国は国連安全保障システムを効果的に推し進めるために必要な段階をまだ経ていないのが事実であるにもかかわらず、この最終目標に向けて投資を継続すること、および永久の忍耐が求められている。

 面白いことに、ドイツ人もまた戦後、集団的安全保障の効果的なシステムを達成する為には、立法上の行動に意義があることを認識していた。ボードレール派の策士であるカルロ・シュミット氏(ボードレールのドイツ語翻訳家)は、『平和条項』をドイツ憲法第24条、25条、26条に取り入れた憲法会議に於いて、責任ある立場の議長であった。日本の憲法第九条が先行法令となったドイツ憲法24条の下で、その憲法24条の思想は集団的安全保障権を国連の安全保障理事会に定義づけ&##12427;こととなり、またその思想を提供している。カルロ・シュミット氏は、「さもなければ我々に生きる道は無い」と警告して、直ちに法律用件の整備を支援した。同じことをマッカーサー将軍は言明した。効果的な国連の保障システムの達成に関して言うならば、憲法第九条と直結するものである。「憲法第九条は唯一の道を指し示す」と言った。

 何故今日こうした事実は、忘れ去られたのだろうか?1947年に冷戦が始まった時、集団的保障は話題にならなかった。その代わりに、NATO並びにワルシャワ協定と共に中心的議論が集団的自己防衛に走ってしまった。最近になって初めて、国連憲章に沿って考える事がなお適切である、と再び言えるようになった。その証拠に、コフィ・アナン国連事務局長が、国連総会を前にして2003年9月23日に次のように発言した。「我々は今、分かれ道に来た。つまり、国連が設立された1945年と重要度において何ら違わない瞬間にいるのだ」

 我々が今、『平和の醸成のための国連がなすべき国際的な10年間』の最中にいる間、日本の憲法9条は平和と正義のための将来の国連の秩序を成す上での礎であるとして、日本の憲法9条に賛同して言われることがたくさんある。第二次大戦、および広島と長崎の原爆から抜け出たことは、日本人ばかりではなくて、全人類に関係することだ。このことに関して言えば、『世界の平和と安全の推進」と「各国間の公正で名誉ある関係の維持』および『あれこれと組織された人々を扱う際に、国際法と国際条約に配慮しながら、責務を育成すること』を望むインドの憲法第51条とよく類似する。